かごめかごめ物語(仮)公開版



〜〜〜叔父上




 その晩―――予想通り叔父上は己を呼び出した。

 早めの夕飯を終えて、鱈腹詰め込んだ腹を撫で回したその矢先だというのに。何とも拍子が悪い。

 驚いた事にあの美味い豆腐の味噌汁も、噂の山女魚も、茄子と胡瓜の漬物も、全てあの春夏という女中が一人で支度しているらしい。
 学校もあるというのに、此の広い屋敷を一人で切り盛りして―――全く叔父上も正二も使用人の一人や二人雇っても良かろうに、不甲斐無い。

 沙耶も将来嫁入りするのだから、家庭料理の一つや二つ学ぶべきではないかと、正二に提案はしてみたのだが、此れも芳しく無い。
 あの子に刃物を持たせるのは、過分に不安があるとの事。

 ………………。
 ………。

 流石に己も二の句が継げなかった。

 其れに溜息を吐く正二の話では、気まぐれに洗濯物を取り込んだり、下の街まで使いに行かせたり、果樹園の仕事やら、其れなりの手伝いはさせているそうだ。
 力仕事や使い事が特に好きなようなので、まあ重宝しているとの事。

 将来沙耶が、嫁ぎ先から追い出されないか心配だ………。
 温情のある夫が見つかれば良いのだが………。

 ………………。
 ………。

 ともあれ、己は宛がわれた客室から再び居間へと戻って来た。

#居間

【景芳】………来たか。

【己】お待たせ致しました叔父上。お話とはどの様なものでしょう。

【景芳】………………。

【景芳】………………。

 叔父上はめっきり老け込んでしまっていた。
 巌の様な其の顔はすっかり皺だらけで、以前の威厳に溢れる叔父上の容貌からすると、確実な老いを感じさせずには居られなかった。

 今も威厳に満ち満ちてはいるが、何処と無く老人特有の哀愁と、諦観の様が見て取れた。

 ………………。
 あまり機嫌が良さそうには見えない。
 何を云われるのか、億劫だ。

【景芳】………………。

【景芳】倅から聴いた。総一郎、お前―――陸軍に入ったそうだな……。

 ………ちっ。
 あの莫迦っ……余計な事を………。

【景芳】篁家の直系たるお前が、軍に入るなどと………。

【景芳】………………。

【景芳】のう、総一郎よ。真坂あやつの言った事、本当では、無いだろうな……。

【己】い、いえ………その………。

 困った。
 何と誤魔化せばいいのだろう………。

【景芳】あっては為らない事だよ。お前の血は『特別』なのだ。

【景芳】他の者どもとは、命の価値が違う。そうだな?

【己】………………。

 く………どうしたものか………。
 家長たる叔父上に逆らう訳にはいかん………。
 もう何の縁も所縁も無い叔父上だが………其の事で失望もさせたくは無いな………。

【景芳】総一郎、何故黙っている。答えぬか!

 や、矢張り怒っていらっしゃるっ………。
 嗚呼糞っ、もう破れかぶれだっ!

【己】………本当です。

【己】………………。

【己】三島第76連隊所属、陸軍の総一郎。今はそう名乗らせて頂いて―――

【景芳】ならんっ!

【己】っ………。

 怒ってるな。
 此れは不味い流れだ。
 叔父上がこう、頭ごなしにものを言う時は、此の人は絶対に曲げようとしない。

 どうしたものか………。

【景芳】聞いておるのかっ!

【己】はっ、すみませんっ大尉殿っ!

 ………………。
 しまったぁぁぁぁっ!

【景芳】………………。

【景芳】何故だ………。

 え?

【景芳】あれ程温厚だったお前が………何故軍になど………。

 ………………。
 以前の叔父上なら、在り得ない反応だ。

 え、え?
 今、何が起きてる……??

【己】お、叔父上………?

【景芳】ワシはな………。

【景芳】出来得る事ならあの馬鹿っ!

【景芳】馬鹿息子とお前を交換してしまいたいぐらい………息子以上にお前の事をだな………。

 そう、怒りから失望に気を落とした叔父上の瞳は、心成しか涙ぐんでいる。

【己】………………。

 ど、如何したものか……??

【己】………い、いや、正二が莫迦で阿呆なのは認めますが、彼は良くやっています。

【己】立派な息子ではないですか。

【景芳】………………。

【景芳】そうか………?

【己】え、ええ………。

【景芳】………………。

 多少其れなりに、正二の奴も可愛いらしい。
 己のお世辞に叔父上は少し、口元を綻ばせる。

【景芳】なら軍を辞めろ。

 はい?!
 ちょ、ちょっと待って下さい叔父上っ?!

【景芳】戻って来い、総一郎。

【己】い、いえ………その、叔父―――

【景芳】正二は隠居させよう。

 いきなり暴挙?!
 なっ、なななっ、な、何をおっしゃいますかっ?!

【景芳】お前が新しい篁の名主だ。兄上の息子とあれば、誰も文句は言うまい。

 んな、莫迦なっ!

【己】お、叔父上っ!

【景芳】なに、補佐役に正二を就けるよ。お前は少しずつ仕事を覚えてくれれば良い。

 隠居させた矢先に其の扱いは………っ。
 従兄弟ながら不憫過ぎるっ………。

【景芳】不服そうだな。

【己】叔父上、ですから私は―――

【景芳】おお、そうか。そうだったな。

【己】そうです、私には部下と上官が………

【景芳】お前も良い歳だ。娘達もお前を気に入っているようであるし、嫁に呉れてやろう。

 待てっ、待て待て待て待てっっ、叔父上っっ!
 何かおかしいっ!何かおかしいぞっ、其れっ!

【景芳】どれが気に入った?沙耶か?蔦枝か?

【景芳】何だったらどちらかを正室にして、残りは側室に迎えても良いぞ。

 つ、蔦姉と………沙耶を、ま、まとめて………?!

 ………………。
 ………。

 お、叔父上………。
 貴方は古いお人だ………。

 こんな片田舎で無かったら、其の様な不道徳………くっ……。
 己はそんな誘惑には屈しないっ。

【景芳】冗談で言ってみたが、此れは良いな。

【景芳】篁の純血も保てる。其の上に子は二人分も設けられるぞ。

【景芳】良い良い、そうしようではないか、総一郎。

【己】………………。

【己】………………。

【景芳】どちらを正室にすべきかな。

【景芳】………………。

【景芳】蔦枝はあの通りであるし、沙耶の方がまだ外向けの顔が出来るか。

【景芳】のう、総一郎。ワシは沙耶を正室にすべきだと思うのだが、どうかな。

【己】………………。

【己】叔父上………。

【景芳】蔦枝ももう少し落ち着いてくれたら、良いのじゃがのぉ………。

【己】………………。

【己】私は今のところ、女房を娶る気はございません。

【景芳】何を云う、総一郎っ。ぐずぐずしているとワシの様に歳を取ってしまうぞ。

 っ………。
 叔父上は、少し………弱気に為られたか……?

 だから斯様な妄言を………。

【己】軍も簡単には抜けられません。

【景芳】えいこの、ワシが何とかする。だから総一郎っ………。

【己】我が76連隊は今、欠員だらけなのです。

【己】先の露西亜との戦争で、76連隊は多大な打撃を受けました。

【己】私の指揮する小隊も、10名中4名しか隊員が埋まらず、内3名が新兵です。

【己】今は如何しても、抜けられません。抜ける訳にはいかないのです。

【景芳】………………。

【己】判って下さい、叔父上………。

【景芳】………………。

【景芳】総一郎よ………。

【景芳】何もお前が戦う事はあるまい……。

【己】いいえ。最早此の時代に、貴賎の差は御座いません。尊いのは陛下のみ。

【己】そもそも皇族方も、指揮官として軍籍に属しております。

【己】私だけ戦わないなどと、そういう訳には為りません。

【景芳】………………。

【景芳】………………。

【景芳】わかった………。

【己】すみません………叔父上……。

【景芳】正二の奴を軍属に処そう。

【己】っ……?!

#文字サイズ大

【己】正二は駄目だっっ!!!

#ここまで

【景芳】なっ………。

【己】アイツ………アイツだけは………絶対………。

【己】駄目だ………。

【己】………………。

【己】アイツがもし戻らなかったら………己はっ………。

 っ………。

 気持ち悪い………。

 何だ此の感覚は………。
 目が廻る………吐きそうだ………。

 己は………己はだからっ………。
 だからっ………己は………。

 わからない………。
 己は………己は………誰、だ………?
 己は何がしたい………?

 己は何故………軍に………。

 ………………。
 ………。

 ………………。
 ………。

【己】あ………。

【己】………………。

【己】すみません………叔父上………。

【景芳】倅を軍属に就けるのはやめよう。

【己】ぁ………。

【景芳】あやつが死んだら………ワシも悲しい。

【景芳】其れで兄の様にお前まで夭逝でもしたら、篁も滅びてしまう………。

【景芳】………………。

【景芳】跡継ぎの事、覚えておいておくれ。

【景芳】今直ぐでなくて良い。大切な事なのだ………。

【己】わかりました………。

【景芳】今日はお前が先に風呂を浴びろ。

【己】しかし………。

 一番風呂は家長の―――

#景芳 照れ

【景芳】年寄りなりに柔軟になってみているのだ。気恥ずかしい、早くしろ。

【己】………………。

【己】ふふ………。

【景芳】わ、笑うなっ……。

#総一郎 眼鏡くいっ

【己】変られましたね………叔父上……。

【景芳】そ、そうか……?

【己】ええ、ふふふっ………。

【景芳】くっ………早く行けっ!ワシの命令じゃっ!

【己】………では、お言葉に甘えて。

【己】………………。

【己】………考えるだけ考えておきますよ、叔父上。

【己】久方振りの一番風呂で、ゆっくりとね………。




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